ペドローザの手帳

ブログに書く前に紙に書くのだ!

7つの習慣の正しさはともかく、わたしの演習の正しさを実感出来なさそう。

はじめに。

前記事(フランクリン・プランナー、「7つの習慣演習ノート」、書いても、添削してもらわないとわたしの場合独善かも)の続きです。

zap-oh-dear.hatenablog.com

 

スティーブン・R・コヴィー『7つの習慣 演習ノート』全体を一読して。

 そうそう、前の記事では、肝心のこの本へのリンクを貼り忘れてましたw

7つの習慣 演習ノート

7つの習慣 演習ノート

  • 作者: スティーブン・R・コヴィー
  • 出版社/メーカー: キングベアー出版
  • 発売日: 2015/05/29
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
  • この商品を含むブログを見る
 

 

それでまぁ、前記事に書いたとおり、わたしは、とっかかりの部分で、パラダイムシフト、つまり、物事の見方の変化の、その前後で、前後の見方に善悪や優劣はないはずだ、という価値観を持っているため、以降、なしくずしに、宇宙人の言っていることを読んでるみたいなことになりましたw

 

たとえ、パラダイムが、天動説と地動説のような、一般に一見その評価が自明のものであったとしても、天動説ー悪・劣、地動説ー善・優 ではないと、わたしは思うですよ。

地動説が今では、「真実」であり、「正しい」のだとしても。

生まれてこのかた身につけたり教えられた知識なしに、どれくらいの人が、地球が動いてるって、実感できる(・してる)だろうか。ぶつぶつぶつ。

 

要は、コヴィーおじさんのように、演習で導き出した「正しさ」を「そうだ」と、身をもって実感できなさそうだから、信じて、がんがんいけなさそうなのです。

パラダイムシフト前のものも、愛すべきものではないか? と思っちゃうですよ。

ほかにも、「原則外のものも、愛すべきものではないか?」とか思っちゃうですよ。

まして、わたしが考えたことなど! だいぶ当てにならないよね。

というわけで、見方の転換自体ができなさそう。

それで、細部や枝葉末節しか、取り入れられなさそうです。

 

まぁ、ぐちゃぐちゃ言ってないでやってみるけどさ。

すぐ読めるからもう1回読んでみるし。

 

得たことは、特に、仕事ではなくプライベートで、「終わりを想像(設定)しない自分」に思い当たったですけれども、コヴィーおじさんは、それだと、はしごを登った先が変だったみたいなことが起こりうるというようなことを言っていたなぁ。

たしかに、わたしが未来を不安に思うのは、終わりを想像してなくて、さらに努力もしてないからだと思います。

 

でもさ、はしごの正しさを、そうだと実感できなさそうだから、わたしには、登ることも出来なさそうだ。

やることに効果があるかどうかは、わたしにとっては、それほど重要ではないんです。

そもそも、登る必要があるのかどうか。知らず知らずに毎日ゆっくり登ってしまってるかもだけれどさ。

 

あと、コヴィーおじさんのいうところの、ミッション・ステートメントが、わたしの価値観では、書けそうにないんだ。

個々の目標がミッション・ステートメントにそぐわないから、どうでも良くなっちゃうってことがあるよ、って、コヴィーおじさんは言っているけど、なに、このわたしの価値観……。

 

ん~。順番に書いてみるけどさ、軌道修正してくれる人がいないもんで、心配だよう。

目の前の快不快に流されがちだもの。