4月5日のほぼ日手帳。『日常に侵入する自己啓発』の手帳の章だけ読み終わったとこ
今日のほぼ日手帳。
午前中だらだらしてたけれど、夕方、読書を始めました。
それで、読んでいるのは、これ。
まだ、しっかりとは読んでなくて、とりあえず、「はじめに」のところと、気になっていた「手帳術」に関する4章を読んだだけなんだけれども。
ほんとは、ちゃんと読んでから、感想を書くべきだけれど、ちゃんと読まないかもしれないから、今日のうちに、今日、思ったことを書いておきます。
手帳や手帳術の誕生、変遷について、登場した年代が面白かった☆
けれども、わたしがたまたま使っているほぼ日手帳についても言及された上で、200ページあたりに書いてあったことが気になりました。
画像、文字がつぶれているかもしれないので、手帳に引用メモした箇所を。
「生きた時間」を手に入れるための、また誰から与えられるものでもない自分自身の夢をかなえるための技法とそれが具現化された商品(手帳)を目の前にするとき、時間をめぐるユートピアはもはや安易に設定できないと考えるべきだろう。今あるのは、夢を描きかなえることを支援し、また日々を自由に、楽しく、ささやかに生きることを緩やかに後押ししてくれる、権力のようには一見みえないが、しかし時間感覚に何らかの指針を与えようとする、近代的時間権力の先に展開された「権力の類似物 analogues of power」(Hook 2003)なのである。
「権力」という言葉について思ったこと。
フーコーがそんな言葉を使っていたのは知っていても、どういう意味かは知らないままなのですけれど、有名な用語なのは、うっすら分かる。
そこを、あえて、文脈や本来の使い方を無視して、素人考えで連想ゲームしました。
「権力→支配・管理→影響、制限、強制力?」
と、手帳の下のところにメモしてみたですよ。
この本は、手帳術に関する本ではなくて、テーマはたぶん、「日常に侵入する自己啓発」だから、自己啓発の類が、多くの人がいいなと思ったり、不安に思ったりすることについて掲げて、なにか処方箋を与えている、それに、日常、知らず知らず侵されている、というようなことだと思うんだけれども。
「日々を自由に、楽しく、ささやかに生きる」ことは、素敵だなぁ、と思うし、たぶん、これ、ほぼ日手帳などの2000年代前半に登場した手帳群のことを言っているんだと思ったけど(夢を叶える系・夢を持て系手帳術や、さらにその前に出てた時間や思考の管理系手帳術に対抗するテーゼみたいな)、それも、「権力の類似物」と言ってのけているところが、面白いなぁ、って思ったのです。
何を言いたいか、よく分からないし、まだ、言葉にならないし、これ以上、正確な言葉にすることもないと思うけれども、面白いなぁ、って。
どんなに緩やかなコンセプトの提示であっても、啓発的な要素があるってことなのかなぁ?
つづきを書くかもしれないし、書かないかもしれないけど、いろいろ考えながら、寝ます。