カズン試し書き7回目。がっつり文字の中に埋もれた一日。
2015年11月26日(休日)のほぼ日手帳カズン試し書き。
今日はこんな感じでした。
相変わらず、小さい文字がびっしりでした。
詳細(日記)
今日は、これといったことをしていないけど、今後読む本の手配をして、ぼんやり考え事してたら、終わっちゃったですよ。
「哲学個人授業」は、図書館で借りて読んだですけど、手元に置いときたいと思ったので、Amazonで買っちゃいました♪
今日、手配したり、買った本は、ほとんど哲学系で、たぶん、読んでも意味わからないと思います。
たぶん、昨日、映画(フィクション)を観た反動だと思いますw
キルケゴールを少し読んだけど、画像のとおりのことを考えてた時間の方が多かったです。
Twitterで、つぶやくさんとマイラバの話をしたから、久しぶりで聴いたけど、あまじょっぱい思い出が、蘇ってきましたw
あと、うちは、両親が、朝日新聞をとっていて、その夕刊の情報が、結構好きで、今日も読んだですけど、今日のカズン試し書きに書いてある、気になる音楽(アルカ「ミュータント」)も、三谷幸喜の記事も、朝日新聞発です。
昼間、自分が、他人(プロで知り合いじゃない人)の書いたもの・撮ったものなど、作ったものに、作れないくせに辛口なことを、反省したですけれど、今日の朝日夕刊の三谷幸喜の記事は、ほんと酷かったな(「ありふれた生活」779)。
古畑任三郎とか、落ち武者の幽霊が出てくるあの話とか、結構好きだけれども、これはないだろう、って。
もし、歴史が因果で動いてるだったらさぁ、「偶然」を排除してるみたいことになるわけで(「必然」が優勢になっちゃって)、そもそも、「必然」というのの原因や発端も、つきつめていくと「偶然」なのにさぁ……出来事と出来事を因果でつなげれば良いってもんじゃないだろ、とか、思うですけども。
ま、いいや。
つまり、因果で出来事を理解しやすいだけで、一般ウケはするかもしれないけど、真実ではないはずだ。
三谷幸喜をわざわざは観たくなくなったわ。
昔の学校の先生がそう言ったとかさぁ。
ちなみに、日本史とか世界史の大学入試の受験勉強で、試験に小論が必要で、それをするだったら、暗記よりかも、因果というかストーリーのプロットを、むりやりでも行間から読み取り、操れるようになるのがコツだけどさぁ。
三谷幸喜、思い出としては綺麗だけど、内容がひどいわ。
ブログに書くだったらいいけど、全国紙に載せる内容じゃないだろ。
と、ぼろかす(๑≧౪≦) てへぺろ。
終わって寝ます。
明日仕事で、午後研修なので、ちょっといつもと違うから、わくわく(o>ω<o)