ペドローザの手帳

ブログに書く前に紙に書くのだ!

カズン試し書き6回目。「6才のボクが、大人になるまで」と「哲学個人授業」を観たり読んだり。

2015年11月25日(仕事)のほぼ日手帳カズン試し書き

昨日は、こんな感じでした。


詳細(日記)

自分の書いた映画の感想(上記画像内)を読んで、
「ああ、わたしは、なかなか感動しないんだな。他人のことなんか、どうだって良いんだ」
って、思いました。
他人のことっていうのは、身近でない人の人生のドラマとか。


しかも、気づいたら、超辛口だったし ┐(´д`)┌
自分で映画撮ったことないくせに。


大学時代の友達の友達が、映画撮ってたりするらしいけど(今も)……。
つまり、今、ふと、思ったのは、昔、大学生(文学部だった)になって、わたしは文学とか歴史とか芸術とか文化とか、そういうのが好きと思っていたんだけれども、全然、まったくもって、周囲の人たちに比べたら、好きじゃなかった・興味なかった、ってこと。知識も見解も愛情もない。
それで、せっかく、第一線の研究者がいる大学に入ったのに、卒業単位をぎりぎり取っただけで、まったく、話を聴いてなかったんです(講義に出ず、遊びに行っていた)。
だから、映画(6才のボクが…)以外に、昨日は、哲学の本(鷲田清一×永江朗「哲学個人授業」)を読んだんだけれど、両方とも、「面白いなぁ」とは思ったんだけれど、わたしは、中途半端にしか観たり読んだりしてないんだなぁ、って思うですよ。
自分が、作り手とかには、なったことがないし、これからも、永久にないと思うんだけれど、先行の作品や研究、テーマや問題意識を理解して、さらに楽しむことが、ないですよ。視野が狭い上、懐も狭いんです。
なのに、辛口wwwwwwww


まあ、いいか。一般の消費者として、プロになろうっと♪ 消費者っていうと、映画や本は果たして消費するものなのか?っていう、ややこしい問題になるけども、つまり、そんな感じです。


哲学の本の方は、それこそ、大学生の頃に、よく買って読んでいた、「Lマガジン」ていう情報誌があったですけれど、そこの出版社が出してたみたいで、なんだか、すぽん、とハマったですけれど。
Lマガジンに載っていた「実験哲学カフェ」に、大学の友達と行ったりもしたなぁ、って思い出して、ほのぼのしました。


昨日、観たり読んだりしたのは、こちらです☆


6才のボクが、大人になるまで。 [DVD]

6才のボクが、大人になるまで。 [DVD]


哲学個人授業-<殺し文句>から入る哲学入門 (木星叢書)

哲学個人授業-<殺し文句>から入る哲学入門 (木星叢書)


哲学者の入門方法(どの哲学者の、どの版の訳がよくて、どの本からいくか)とかも書いてあったから、ちょっと、付箋で読む本リスト書いて、にやにやしておこうと思います☆