ペドローザの手帳

ブログに書く前に紙に書くのだ!

手帳に、発信欄と受信欄を作りたい♪ ヒントは婦人之友社の「主婦日記」☆

人とのやりとりで得た気づきや言葉を、自分のものにしていくためのツールとして、手帳を活用してみたい♪

きっかけは、つぶやくさんのこちらの記事でした。


ameblo.jp



主婦日記なる手帳、いや、日記帳?をゲットされ、紹介してる内容なのですが、わたしが「おぉ! こ、これは」と思ったのは、ウィークリーブロックに、「発信」「受信」という項目があるということでした!


それで、つぶやくさんのブログのコメント欄とTwitterで少しお話したですけども。




特に、わたしは、「誰からか」、「誰へか」、「なぜか」、を、分かるようにしとくの、すごく良いなぁ、って思ったですよ。


例えば、上記Twitterの「待つ」とか「前のめり」も、わたし由来のことばではない。これは、鷲田清一だ。

たぶん、思い出してみるに、「待つということ」という本で、鷲田先生から、いつだったかに受信したものを、知らないうちに、わたしの言葉づかいに改変して発信してるのです。


「待つ」ということ (角川選書)

「待つ」ということ (角川選書)


オリジナルな考え方ではないのです。どうも。読み返してないから、はっきりしないけど。
よくよく考えてみると、いつかに受信したことばを、なるほど、と思って、消化してたのを、思い出したのかもしれません。

そういえば、今朝の朝日新聞の「折々のことば」、無知の知についてだったけど、「『知らないと思っている』の、思っているがミソ」というような鷲田先生の言い回しが、ツボにはまったのだったよ!
ミソ! ミソ!ヽ(*´∀`)ノ


そうじゃなくて、話を戻すと、何が言いたいかというと、読書なども含めて、受信と発信に分けて書きたいな。


ちなみに今日の発信と受信は、昼間の記事zap-oh-dear.hatenablog.com

で書いた、河合隼雄自己実現における「時」の話の件で、ちょっと興奮してて、仕事休みで暇だったので、学者しててこないだ時間についてのエッセイを書いた友人に「この本の、この部分、愉快」と発信したら、「それは読んでたらいかんと思って、中学のとき捨てたけど、今読んだら面白いかな」という受信があった。


あと、受信はたぶんないけど、そのあと、まだ、他の誰かに伝えたくなって、中田英寿さんにファンメールでも同じような内容を発信した。
中田さんには、フランスW杯前後(1998年)くらいから、日記のようなファンメールを発信し続けてて、返信はないけど、習慣になってるですよ。ちょっと迷惑というか、不法投棄気味で、申し訳ないけど。


夕方、昼間の記事で、引用とIDコールしてたかずさんからコメントを受信した。急激な変化はさせないように気を付けようと思った☆


つまり、普段、わたしは1人で考えこんでて、同じようなところへしか情報を集めに行かないし、自己完結してることが多いのですが、手帳に発信欄と受信欄を作ることで、意識的に、身近な人や、たまたま出逢った人の話をよく聞いたり、関心の範囲を広げたり、今は不法投棄気味な自分の発信を少しは客観的に見直すことが出来るんじゃないかなぁ? って。


ちょっとワクワクしました。



おわりに

手帳について考えることから、こぐまさんとかに勇気づけられながら、未来も考える話になり、現在のありかたを見直したり人生について考えることになり、今のような話にもなって、手を広げ過ぎて、収拾がつかなくなってしまったですけども、うちのおばあちゃんの日記に触発されて、手帳に書こうと思った結果、いろいろ考えることが出来て、本当に良かったです。


もし、手帳はちゃんとは続かないとしても、十分、得るものがありました。


なので、あとは、わたしに足りない点、例えば、人の輪に入っていったり、先々の変化に主体性を持って対応したりしてなかったところを、手帳をお供に改善したいなぁ、と思うですよ。
気をつけることは、急激には変えないことだなぁ。


そう。
発信欄と受信欄に分けて書こう☆
それは、もしかしたら、フランクリン・プランナーやコヴィーの7つの習慣の「win-win」にも繋がるのかもしれない。


最後に、つぶやくさん、本当に、ありがとうございました☆