ペドローザの手帳

ブログに書く前に紙に書くのだ!

ほぼ日手帳カズン試し書き4回目と日記。アートと地域おこしの相性など

2015年11月23日のカズン試し書き。

昨日は、仕事で疲れてしまったため、今朝、さっき、ちょろちょろと書いただけになりました。
なんていうか、書くなら、その日のうちにやらないと、わたしの場合は、だめだなぁ!


詳細(日記)

アーティストのイベントに疑問

昨日は、勤めている博物館のホールやお部屋で、外部のアートイベントのオープニングイベントがあったです。
それで、わたしは、受付に座っているものだから、いろいろお客様からお尋ねをされるわけですが、持ち込んだアーティストたちと館側が、場所も時間も打ち合わせができてないのか、予定と変わり過ぎたし、元来の来館者の動線を阻害するイライライベントでした(文句言われるのわたしだし)。


結論からいうと、地域や町おこしに向いているアートとそうではないアートがあると思って、昨日のは、風景に溶け込んでないから(「子どもが触ると壊れるからやめさせてほしい」とアーティストから言われた)、ちょっと無理めだろう、と。


わたしは、わりと、アートとかアーティストに、抵抗や反発はない方だと思うけど(観にいっちゃうくらいだし)、昨日の人たちの作品は、ガラスケースの中に置いとくタイプであって、風景を変えたいとか言ってたけど、それはただの理想論だと思った。
展示方法は、インスタレーション的なものを意識したのかもだけど、中途半端だし。


などと、偉そうなことを、思ってました。
あと、アーティストとオーガナイザーは、別人であるべき。
観ている数が違うと思うから、見せ方の問題で。


同病(統合失調症)で、病識がなく、いろいろ妄想を発信しまくっている方を発見して

「あああ。病院行ったほうがいい。どうしよう」と思って、声をかけてもいいんだけど、たぶん、意味をなさなくて、ストレスになるだろうな、って、やめとくことにしました。


「妄想」の着想となる出来事の意味は、赤いりんごを見たとき、それが、赤い、と認識するのと同じくらい、自明の事実として、意味があらかじめ決まっていて、人が説得したところで、どうにもならないのです。


とりあえず、統合失調症の妄想の特徴は、自分に影響を与えたりしてくる相手の黒幕みたいのが、茫漠としていること。
ハッカーとか、電波とか、某国とかで、パラノイアの人のように、「隣にいる紛れもないその人が」になることはないらしい。なることもあるけど、その特定の人に収斂しないという意味で。


そこから、「スキゾ―パラノ論考」とかがあるのを教えてもらってたけど、まだ、読んでないことを思い出したので、どこから手をつけようかなぁ、と、考えてました。


おわりに

今日も1日がんばります。
今日は、休みだけど、コメダがやってないですよ。
なんと、駐車場の車が突っ込んで、修繕の日が今日らしいのです。
家に居ると、だらだらしちゃうので、出かけようかなぁ。