ペドローザの手帳

ブログに書く前に紙に書くのだ!

過去・現在・未来のいま/いつかを、手帳に書き残すということ

一昨日はカズンを買ったあと、来年の手帳の計画を立ててた。でも、昨日は仕事で疲れて早寝して何も考えてないし、書いてない。

 一昨日のツイート。

 

というわけで、このあと、早起きしたし、また再び、いろんなものを参考に、手帳のどこにどのように何を書くか考えて楽しむんですが、オリジナルとWEEKSに加えて、カズンも買ってしまい、収拾がつかなくなってます。

 

憧れと恐怖の未来予定をWEEKSに書いてみようか迷っている話。

昨日は、こぐまさん(ちゃん、じゃなくて、さん、と呼ばせてください)の記事を読み、おにいちゃんのすばらしい絵にほっこりしたあと

 

kogumaya-no-osaihoubako.hatenadiary.com

 

わたしもWEEKSには、未来予定を書き込もうかなぁ、って思いました(オリジナルは持ち歩きメモ、カズンは全ての記録にして)。

 

でも、未来予定、立てるの、ちょっと怖いんです……

未来予定立ててる人が怖いんじゃなくて、わたしの、あまりにも不確定な未来を書くこと自体に躊躇するですよね。今は。

 

こぐまさんによると、

・やりたいこと(実際の予定を配慮して考える。)あまりにも現実からかけ離れた事じゃなくてね。目的地を設定する。

・実際どうだったか?を記録する。

 

1カ月かけて目的地に着くまでのだいたいの目標を立てます。

(こぐまさんの記事より引用)

とのことで。あと、完了形で書くと良いとかで。

 

1か月分だったら、今とそれほど変わらないんだろうから、出来るかも!って思ったですが、いかんせん、わたし、再来年の春までに転職活動しないといけなくて。現実。

でも、そこまでの計画を立てて、うまくいかなかったら立ち直れないとかで、ほんと、未来予定はわたしのためのメソッドであるはずなのに、怖いんです。

ほんとは、せめて、資格の勉強計画とか書いたらいいんだけど(まだ取っていないMOSとか考えてる。去年から考えてるだけ)、転職活動、9月に、試しに合同面接会行ったですけど、わたしの持病をオープンにしたら、履歴書さえ受け取ってもらえなかったていうこともあったりして、いやだなぁ、いやだなぁ、へこむわぁ、って。

 

今の職場に、ずっと居られれば、退屈だけど、いいなぁ。

今のところは、自宅療養5年からの社会復帰第一弾で、正職じゃない上、短時間だし、3年という期限つきなんです。すごく、良い人たちに恵まれてて、居心地も良いのですが。今のペースだったら、プライベートも楽しめるのです。

でも、いつか終わる。

それで、漠然とした未来に不安を抱きながら、棚上げにしてるですよ。

 

まぁ、社会人になる前も、未来決まってなかったんだから、がんばって書いてみようかな。

ありがたいことに、病気になる前も、なった後も、周りの保護というか助けもあるし、あまり気負うこともないよね。

 

 

ところで、昨日、大学時代の友人の月1エッセイに感想を送った話より。

話変わって。

ちょと、ここに、Webエッセイへのリンクを貼ってしまうと、その人(文化人類学者をやってる)にブログが見つかってしまい、しかも、「ちょwww HN、ペドローザって、なんだよwww」とか言われそうなので、貼れないのですが。

 

今回は、時間の話で、過去のもつ創造力(現在や未来のいま/いつかに対する創造力)の話で、これから、日記を手帳に残そうとしてるわたしにとって、タイムリーでリンクした話題だったので、ちょっと嬉しかった。

日記を手帳に残そうとしてることや、なんだか嬉しかったことは、言っていないけど、そういうことってあるんだ、という思いと共に、きっと、手帳に日々の些細なことのログを残すことは、現在や未来において、何かのチカラになるんではないかな、って思いました。

 

過去のいま/いつかは、現在や未来のいま/いつかを創造する力を持つのかもしれない。

過去の人にとってのいま/いつかなんて、少し興味はあっても、基本知ったこっちゃない、甲斐性のないわたしだけれども、未来のわたしにとっての、過去・現在のわたしのいま/いつかは、きっと、何かの糧になる気がする。

 

エッセイが気になる方は、「創造力 過去 人類学」でググると、2015年11月2日現在、一番最初に出てくるのが、それです。

わたしの感想は、「私たち」って言ってるの「私」じゃない? というようなことを送りました。そしたら、わざと狙ってやってたらしいというのが、一番、面白かったです。

ほかも書いてるけど、省略☆