過去・現在・未来のいま/いつかを、手帳に書き残すということ
一昨日はカズンを買ったあと、来年の手帳の計画を立ててた。でも、昨日は仕事で疲れて早寝して何も考えてないし、書いてない。
一昨日のツイート。
ほぼ日手帳カズンの週間ページ(バーチカル)は広い。日経WOMAN手帳特集p.24の隂山教授の技を真似しようかと思ったけど、24時間ではないから、私のしたい体調管理のうち睡眠チェックまでは出来ない。なので(続く) #手帳ゆる友 pic.twitter.com/KZKnX9IOjh
— ペドローザ (@zap_oh_dear) 2015, 10月 31
(続き)1日ページの時間軸を公式ガイドブックの佐藤卓さんみたく使ってみようかなって。でも、そうするとまとまった変化や推移を見れないから、年間ページに眠った時間を合計何時間か棒グラフ状にしようかな…とか、いろいろ考え中。 #手帳ゆる友 pic.twitter.com/QyMAfFi3xE
— ペドローザ (@zap_oh_dear) 2015, 10月 31
年間インデックスに体重の折れ線と睡眠時間の棒グラフを書きたいけど、カズンはオリジナルより方眼が1マス少ないんだね! 私にとっては500gと1h。 画像は上・カズン、下・オリジナル。 #ほぼ日手帳 #手帳ゆる友 pic.twitter.com/AlGh665jFF
— ペドローザ (@zap_oh_dear) 2015, 10月 31
というわけで、このあと、早起きしたし、また再び、いろんなものを参考に、手帳のどこにどのように何を書くか考えて楽しむんですが、オリジナルとWEEKSに加えて、カズンも買ってしまい、収拾がつかなくなってます。
憧れと恐怖の未来予定をWEEKSに書いてみようか迷っている話。
昨日は、こぐまさん(ちゃん、じゃなくて、さん、と呼ばせてください)の記事を読み、おにいちゃんのすばらしい絵にほっこりしたあと
kogumaya-no-osaihoubako.hatenadiary.com
わたしもWEEKSには、未来予定を書き込もうかなぁ、って思いました(オリジナルは持ち歩きメモ、カズンは全ての記録にして)。
でも、未来予定、立てるの、ちょっと怖いんです……
未来予定立ててる人が怖いんじゃなくて、わたしの、あまりにも不確定な未来を書くこと自体に躊躇するですよね。今は。
こぐまさんによると、
・やりたいこと(実際の予定を配慮して考える。)あまりにも現実からかけ離れた事じゃなくてね。目的地を設定する。
・実際どうだったか?を記録する。
1カ月かけて目的地に着くまでのだいたいの目標を立てます。
(こぐまさんの記事より引用)
とのことで。あと、完了形で書くと良いとかで。
1か月分だったら、今とそれほど変わらないんだろうから、出来るかも!って思ったですが、いかんせん、わたし、再来年の春までに転職活動しないといけなくて。現実。
でも、そこまでの計画を立てて、うまくいかなかったら立ち直れないとかで、ほんと、未来予定はわたしのためのメソッドであるはずなのに、怖いんです。
ほんとは、せめて、資格の勉強計画とか書いたらいいんだけど(まだ取っていないMOSとか考えてる。去年から考えてるだけ)、転職活動、9月に、試しに合同面接会行ったですけど、わたしの持病をオープンにしたら、履歴書さえ受け取ってもらえなかったていうこともあったりして、いやだなぁ、いやだなぁ、へこむわぁ、って。
今の職場に、ずっと居られれば、退屈だけど、いいなぁ。
今のところは、自宅療養5年からの社会復帰第一弾で、正職じゃない上、短時間だし、3年という期限つきなんです。すごく、良い人たちに恵まれてて、居心地も良いのですが。今のペースだったら、プライベートも楽しめるのです。
でも、いつか終わる。
それで、漠然とした未来に不安を抱きながら、棚上げにしてるですよ。
まぁ、社会人になる前も、未来決まってなかったんだから、がんばって書いてみようかな。
ありがたいことに、病気になる前も、なった後も、周りの保護というか助けもあるし、あまり気負うこともないよね。
ところで、昨日、大学時代の友人の月1エッセイに感想を送った話より。
話変わって。
ちょと、ここに、Webエッセイへのリンクを貼ってしまうと、その人(文化人類学者をやってる)にブログが見つかってしまい、しかも、「ちょwww HN、ペドローザって、なんだよwww」とか言われそうなので、貼れないのですが。
今回は、時間の話で、過去のもつ創造力(現在や未来のいま/いつかに対する創造力)の話で、これから、日記を手帳に残そうとしてるわたしにとって、タイムリーでリンクした話題だったので、ちょっと嬉しかった。
日記を手帳に残そうとしてることや、なんだか嬉しかったことは、言っていないけど、そういうことってあるんだ、という思いと共に、きっと、手帳に日々の些細なことのログを残すことは、現在や未来において、何かのチカラになるんではないかな、って思いました。
過去のいま/いつかは、現在や未来のいま/いつかを創造する力を持つのかもしれない。
過去の人にとってのいま/いつかなんて、少し興味はあっても、基本知ったこっちゃない、甲斐性のないわたしだけれども、未来のわたしにとっての、過去・現在のわたしのいま/いつかは、きっと、何かの糧になる気がする。
エッセイが気になる方は、「創造力 過去 人類学」でググると、2015年11月2日現在、一番最初に出てくるのが、それです。
わたしの感想は、「私たち」って言ってるの「私」じゃない? というようなことを送りました。そしたら、わざと狙ってやってたらしいというのが、一番、面白かったです。
ほかも書いてるけど、省略☆